総選挙2026の私的注目ポイント数点
自分は今回の選挙には「行かない」と決めているが、「関心」自体はかなり高い方だと実感している。
「行かない」理由は明確で、「誰にもどこにも左袒したくない」「それ以前に『関与』自体したくないし、その『アリバイ』は明確にしておきたい」というスタンスのためだ。
今回の選挙は、しばしば「新しい戦前」と言われるこの時代の、日本政治社会としての大きなターニングポイントの一つとして位置付けられていくことが「確信」されているためだ。
既に前稿でも述べたが、「結果」自体は既に予め明瞭のため、あとは「程度問題」だけの話となる。
それに沿って、自分が今回の総選挙でポイントと考える点を、個人的に整理することにした。
・自民が、「単独過半数」を「どの程度上回るか」
自分は「自民完勝」は疑っていない。
が、問題は「高市人気」が、「自民投票」に実際にどの程度結びつくのか、ということだ。
自民の政党支持率の低さを考えると、野党というよりは、「保守・右派票が割れる」可能性は十分考慮する必要がある。
日本の有権者は非常に成熟していて、決してバカではない。
野党やらメディアが声高に訴えずとも、「裏金」問題をそう簡単に忘れはしない。
それでも「裏金議員を通す」となれば、「嫌気は差していても、現実が最優先」というのが「有権者の意思表示」で、「禊ぎが済んだ」と見なしても日本の政治風土上はやむないと見て仕方ない。ダメなら通さなければいいだけの話。
維新には「??」となっている人々が多いようだ。それも当然というものだろう。維新所属の政治家自身が、既に自らの存在を疑問視し始めているようなのだから。その「受け皿」も、現在は「十分にある」というわけだ。
・参政党がどこまで「躍進」するのか
参政の勢いは皆実感するところであろうが、それにしても驚いたのは、先日の福井県知事選である。既存政党支援候補をなぎ倒して、参政支援候補が当選したことだ。
無論それ以外の要素もあったのだとは思うのだが。
しかし、参政の強大な「爆発力」を窺うには十分な結果だったのではないか。
あとは、参政自身がどの程度候補者を立てる準備がしてあるのか。
つまり「選挙準備」の体制次第である。
・「中革派」(?w)の「壊滅度」
敢えて自分もこの「蔑称」を用いることにした。笑
「中道」?は、おかしな「新党結成」という「最悪手」を選んだことで、「共倒れの自滅」を選んだ。問題は、旧立民・旧公明が「どの程度減らすのか」にかかっている。
「壊滅」して、まさに共産党レベルの議席数に転落する可能性も否めないのではないか。
・「ゾンビ護憲」層の「有効投票者数可視化」
今回の選挙の「ケガの功名」とでもいうべきか、上記「中革派の自滅」により、「安保法制完敗」により「ゾンビ化」した(恐らく70代以上辺りの)「ゾンビ岩盤護憲派」の「投票先」が失われ、「社共に票が寄る」可能性は少なくないと見ている。
問題は、その「実数」がどの程度か、ということなのである。
近年は「社共が減る一方」だったからこそ、今回はその「可視化」の絶好の機会なのである。
「票数は増えても、議席増減には影響を与えるほどではない」ならそれはそれで良し、しかしもしそうでないとしたならば、どの程度「残存勢力」がいるのか。
・「オールドメディア」(左派系)の「自殺」
高市政権発足以降の、「オールドメディア」(主に新聞テレビ。また、左派系のネットメディアも大同小異であると見ている)の「世論を無視」した、奇妙に偏った「高市バッシング」への保守派大衆の「不信感」が非常に高まっているように感じられる。
「兵庫県政の構図」を、若干彷彿させるものもあると言ってもよい。
今回の総選挙は、まさにその手の「左派系メディアの自殺」を意味する画期となるのは間違いない。
逆に、「保守寄り」のメディアの方が、今後、より政権への「是々非々」のスタンスを取りやすく、大衆の信頼度を増すのではないか。
「左派系メディア」は、選挙の結果如何を問わず「反省」というものができない。
「メディアの社内構造・報道体制自体が歪んでいる」ということを「見つめられない」。
「政権自身の望まぬ、メディア自身の大本営発表体制」を、自ら「変えることができない」。
だからこそ「引き返せない」のである。
といって、「反省」して、メディアが皆「保守寄り」になったら、それはそれで無論考えものでもあるのだが。
つまり、もう「踏み絵を超えた」地点に、メディアは来てしまったのである。
彼ら自身は「学べない」ため「教訓」にならないのが歯痒いのだが、(戦争をするしない以前から)「(元締めが政府でなく己自身になっても)構造的に大本営発表的敗戦をせざるを得ない」のが既存メディアの限界なのである。
・「続投」高市政権の「外交的伸びしろ」
高市首相は、台湾海峡発言等、確かに「危うさ」は感じはしたものの、それはまだ「総理というポジションに不慣れ」なだけではないか、という感触もあるのである。
自分はむしろ、韓国大統領との「ドラム外交」や、北朝鮮の訴えを「スルー」した独自の「外交センス」に注目したい。
彼女が「タカ派」なのは疑う余地はないが、(故安倍首相に倣い)むしろ「タカ派宰相」なりの「バランス外交」を伸ばせる可能性は大いにあるのではないか。
尤もこれまた「両義的」であり、今回の選挙が「保守・右派大連立」に繋がる結果となれば、「改憲」「核保有」といった「ウルトラ保守」路線に一気に傾いていく(中国は当然「硬化」する)可能性も大いにある。
以上が、自分の選挙注目ポイントとなる。
「与党・保守派寄りのエール」に見えてしまうかもしれないが、そのつもりは別にない。
単に自分は、「来るべき事態を正確に」見積もっておきたいに過ぎない。
自分は選挙ウォッチャーでも、メディアウォッチャーでもないので、仮説を詳細なレポートなどにできないのは残念ではあるのだが。
勘所自体は、それほどは外していないと思っている。
【誰でも可能予測】自民完勝・右派大連立確定へ
「はあ?」となった方も多かろう。
「立民と公明の新党」結成報道である。
【速報】立憲民主党と公明党が“中道改革”新党結成へ 野田代表と斉藤代表の党首会談で合意 | TBS NEWS DIG
高市首相の(意図をギリギリまで秘しての)解散判断は、「予算成立直前の非常識なタイミング」ということを除けば、「結果を見ずして完勝」、文字通りの「パーフェクトゲーム」が約束されていると言ってよかろう。
政党支持率自体は良くはないものの、首相人気を考えれば、(自分は選挙ヲタではないから議席数比率の予測などは専門外だが)「自民完勝、右派・保守大勝」は、もはや「火を見るより明らか」というより、上述の「野党側のオウンゴールにより確定」したと言わざるを得ない。
人間というのは、追い込まれると、「いかにとち狂った判断か」ということは己では判断出来ないものだ。
それを近年の政局では、特に野党や、いわゆる「オールドメディア」界隈に対してそれを感じざるを得なかった。
自分は、安倍に対しても「アンビバレンス」なスタンスだっただけに、別段「高市支持」ではない。尤も、手腕は「よく学んでいて巧みだ」とは思うが。
ただ、野党やメディアは「ほんと使えねぇな」という感想しか出ない。
なぜか?
これで「右派大勝」を招く結果となったら、間違いなく(大衆や右派の責任というより)完全に野党・メディア自身の「自爆責任」に帰せざるを得ないからだ。
「右派大連立」が成ったら、それこそ、安倍すら実現できなかった「見果てぬ夢」の「憲法改正」すら射程内に入ることとなる。
あるいは核武装などの先行が現実的か。
断言するが、これはアベのせいでも、大衆のせいでも何でもない。
左翼が、「無意味な自慰」「事なかれ主義の現実逃避」に長年耽った「自己責任の自滅・自爆」に他ならない。
それら左翼は「使えない」というより、(右派のアベや高市などに比したら)「教条主義しかなく、学習能力0」だった。
「戦後80年経って、結局0に戻る」キツさ。
いや、「軍国主義」によらず、「大衆自らの選択で」という意味では、「権威主義的進歩(?)」は見られる、とでもいうべきか。
中韓にも、苦々しい思いを禁じ得ない。
日本の大衆が、「嫌韓」「嫌中」勢を増やしたのは、日本左翼やメディアの偏りだけではない、中韓自身のふるまいが招き寄せたものに他ならないからだ。
まあそれも、「日本左翼が増長させた」に過ぎない、とも言えるだろうが。
対日姿勢や歴史戦見直しも、10年以上早ければ違っていたかもしれない。
(逆に、アベのような「決然」外交がもっと先行すべきだったかもしれないが)
が、「ボタンのかけ違え」は、恐らく「既に手遅れ」と見た方が良いだろう。
日本の保守大衆の「反中」「嫌中」は、恐らくもはや「引き返さない」地点まで来てしまっている。
(高市首相の台湾有事発言が引き金となった面も否めないのだが)
日本の「右派大連立」政権成立は、中国を一層刺激し硬化させる。
また一歩、「台湾海峡危機」をさらに深めるステップとなるのは間違いないだろう。
「ビジネス向け御用ジャーナリスト(?)」の跋扈する時代
以前まで趣味だった「youtube視聴」はすっかり下火になってしまったのだが、最近ほぼ唯一といっていいお気に入りのチャンネルがある。
「元文春記者チャンネル」だ。
我ながら自らの俗悪さには失笑せざるを得ないが、今の自分には「温度感」がちょうどいいのである。
「何が」と言われると難しいのだが、「胡散臭いニュースの舞台裏」は、「ニュースの取り手(取材記者)」の解説が「良い気がする(だけ)」なのだ。
彼らの「ファクト」を「信頼」しているかと言われると、「よくわからない」と言わざるを得ない。
ただ、「取材過程」まで語ってもらえると「納得感」は得られるから、といったところだ。
(尤も、tubeを聞いて楽しむだけで、文春本体の記事など読むことはないのは言うまでもない。苦笑)
「自分が直接関与しない」、「ファクトとの距離感」など、所詮その程度のものだ。
「胡散臭いニュース」は、そもそも「最初から自己のうちに取り込まない」という習慣・生理をつけてしまっている。
あとは、その時自分が興味を持った事象のみは、深く独自にディグる。
まあ現代では当然の情報習慣に、結局は落ち着かざるを得ない。
閑話休題。
その「元文春記者チャンネル」で面白かったというか、気づいたのは、現代は、ビジネスの世界でも、「御用ジャーナリスト」が「公然と」跳梁しやすい環境、ということだ。
ある回で言及されていたのは、とある誰もが知る超大手企業のトップが、既存メディア不信で出禁にしてしまっており、代わりに自社メディアでの動画コンテンツに注力して、「ジャーナリスト」と称する人物を起用して「取材(?)」させている、と語っていたことである。
元文春記者の2人は、「ジャーナリスト」という肩書に疑問を呈し、「PR・広報でしょ」とツッコミを入れていた、という次第だった。
自分がその話で想起したのは、これも比較的最近だが、とある超大物タレントが不祥事を起こしたのち、「独占インタビュー」と称する記事を公開するに至るのだが、それは「インタビュー」とは名ばかりで、「単に一方的に、そのタレントの言い分を垂れ流しただけ」の記事だったということ。
これも担当したのは「インタビュアー」ではなく、「(文字起こしの)ライター・編集者」などというべきだろう。
近年は、「オウンドメディア」(というタームも既に古いのだと思うが。企業が自社PRや広報のために、主にネットメディアやそのコンテンツ配信を行うこと)が珍しくないものとなった。
「外部メディア」(ネットも含む)が「都合の悪いことを書く・報じるから」と「不信」感を抱き、「自社メディアのみ」で「大本営発表を民間で」やろうというのも、一つの流れというべきだろう。
そこでは、「自社の人間」ではないが、「息のかかった」人物を、敢えて「ジャーナリスト」などの触れ込みで立たせるという「演出」は、極めて「低コスト」で可能になるだろう。
この風潮を自分が「見逃せない」と感じたのは、これが「権威主義・事大主義」とひとつながりである、ということだ。
つまり、「外部メディアを媒介」にするのは、要は「自らには都合の悪い質問や編集を成されるから」と、「完全に自前の」発言やコンテンツを垂れ流そうとしてしまう。
その際に必要な人員は、「都合の良い」人物を自ら「キャスティング」して「一から自身で作って」しまう。
しかし、この手の「御用ジャーナリスト(?)」というのは、「ジャーナリズム」そのものとは無関係ながら、民間企業の「大本営発表」ニーズというのは強固なだけに、今後は流行って(?)いくのではないのか。
見逃せないのは、「既存メディア不信」というものと繋がっているために(既存メディアが締め出されたところに)、むしろそうした(企業と直接接点のある)「御用ジャーナリスト(?)」自体が「本当のジャーナリストづら」をしながら、「メディア界に幅を利かせる」といった現象が、今後は起きないだろうか、という懸念である。
今後は、「大組織やインフルエンサーの提灯持ち・小間使い」系「ジャーナリスト」が大いに活躍していく時代となる。
彼らの発信する「情報」を見る前に、発信者の「身元確認」が必要になる。
「クセのあるひと手間」が必要になってくるのである。
「ネトウヨの近年史」は追う価値があるか…?
他アカウントブログにて、「日本の21世紀前後のバックラッシュは、前後半に分けられる」と指摘した。
以前、当ブログでも、「維新の近年史」に興味があると述べたことがあった。
それらは、敢えて(知的に?)「追う価値があるのか」ということに、一応結論を出しておきたい。
結論から言うと、「価値はない」となる。終わり。
といいたいところだが、一応理由付けを明確にしておきたい。
理由も割と明確で、「権威主義とポピュリズムの先が見えた」から、と整理してよい。
自民一強が崩れ、「多党制」への移行トレンドは明確化した一方で、「他党」が「代替選択肢」になったとは言い難い状況である以上、今後も当面は、「自民+α」の連立・少数与党の不安定政権(いわゆる「部分連合」)体制で推移するだろう。
世の経済的苦境が鮮明化する中では、結局のところ、「ポピュリズム政策(要はバラマキor外国人排除政策)の競い合い」しか帰結はない。
「政策論争」などとは言っても、「どんぐりのせいくらべ」以上にはなり得ない。
自分の見るところでは、「石破総理総裁選出ー前回衆院選(2024)」をもって、自民は「事実上解体」したのだと見ている。
今後は単に、誰がトップになろうが、「ゾンビ自民」が延命するだけでしかない。
たちの悪いのは、岸田総裁時の「派閥解体」により、「見せかけの民主化」が、自民内で「進んだように見えた」ことだった。
「派閥の力」自体は確かに弱まったが、その「スキ」には、単にポピュリズムしか入り得なかったのではないのか。
「保守本流」というタームが、自民政治家とか、保守言論筋では用いられることはよくあった。
自分は別に、「保守本流」を云々するつもりもなければ、評価の意図も特にはない。
ただ、「政治の対立参照軸」としてはわかりやすいものとして機能してくれていた、という「歴史的役割」について指摘したいに過ぎない。
ポピュリズムが紛れてくると、「保守」の「歴史軸」そのものは基盤が極めて曖昧化し緩んでいく。
「自民の現代的ポピュリズム化」というのは、小泉政権ではなく、第2次安倍政権により実現したものだと捉えている。
ただ、それらの政治的比較も、既に散々やられているので、敢えて取り上げる価値はなかろう。
アベの功績は、「権威主義×ポピュリズム」を巧みに結合しつつ、なおかつそれにより一般の政治社会を主導することにより、一種の「全体主義」的演出に、一定程度成功したことなのだと思う。
「現代型ネトウヨ」というのは、この第2次安倍政権時に、大量叢生されたものではなかろうか。
結局のところ、「維新」と「アベ」とは、一種の「双子の関係」にあると捉えざるを得ない。
N党・参政党と「群生」しているように見えるが、それらは一種の(「政治軸が多元化した」のではなく、系譜的な「政党史」より、ポピュリズム軸か・排外軸かといった、「ネトウヨの対立軸が選択可能になったと言い換えるのが正確なところではないのか)「派生関係」にあるとみるべきではないか。
(れいわ以下「左ウイング」に可能性がないとは言い切れないものの、結局のところポピュリズムトレンドでは、「弱者・少数者」アピールというのはウケにくく、「バラマキ」「減税」ラインの競い合いになり、それに「排外」が加わるという点では、基本的には「右ウイングの競合」のみに収束すると見るべきだろう)
多党制下では、「トップ(首相)のリーダーシップ」というものも遥かに難しくなる。というよりは「ほぼ不可能」となる。
可能とするならば、「ポスト安倍の、権威主義×ポピュリズム型」リーダーが登場するか否か、のみがポイントとなるだろう。
それが、小泉ジュニアか、玉木か、はたまた大阪の吉村か。
現状では「全員未然」に見えるが、それこそ「安倍の再登板=再チャレンジによる大成」のようなラインもあるから単純に侮ることはできない。
自民には、高市以下「自民らしい政治家」の空気感を「若干は」遺した議員も残ってはいるわけだが、「トップ」としては「ポピュリズム」を動員出来ない限り、世の広い支持を政治力に換えることは難しいだろう。
結局のところ、「派閥」を解体すると、「ポピュリズム以外の解」がなくなってしまうのである。
(自分は別に「派閥賛成論者」ではない。単に「派閥解体」の政治的効果を指摘したいに過ぎない)
ネトウヨは、今後も「新勢力」は現れては消えていくだろう。
彼らは「新手の政治手法」を競い合い、何か「人々の耳目を引く」集団も現れるかもしれない。
だが、当然そこでの「政策論争」にはもはや「意味」はない。
単に、日本の政治経済・社会資産の「何」を食いつぶし、「誰」にバラ撒くか、という方法論争に収約せざるを得ないからである。
強いて、「ネトウヨ系・権威主義×ポピュリズム」リーダーの、「伝統的だが新手」を提示するとしたなら、「対外権威主義=米国ないし非米(中ロ他)」との連携の実現、という路線である。
自民は、伝統的に「米国による承認」により「正統性」を担保してきた(それが「保守本流」という見方も可能だろう笑)。
ただ、「トランピズム」には「危うさ」の振れ幅があるだけに、「米国の傘以外」を求めに行く、という選択肢が、今後の国際社会の動向次第ではあり得るかもしれない。
(無論その場合、「日本自身の核武装」という「極端主義」も選択肢に入っていくだろう)
「権威主義の選択」には、どのみち「地獄選択」への収束しか遺されていないのである。
「ネトウヨ」そのものには、「興味」を向ける価値はない。
ただ、「大衆の『権威主義』選択」のトレンドは、今後の社会全体の展望を左右する力があるだけに、見過ごしたままにはできないだろう。
「カナダ+グリーンランド」なら納得感の出るトランプ併合論
トランプのディール外交は就任以前から活発化していた。
「グリーンランド併合」というのは最初「なぜ?」と感じていたが、「カナダを51番目の州に」と「セットで」考えると、納得感が出てくる。
要は「欧州と地続きNATOの米国」を実現することで、(貿易圏とともに)軍事的なコスパを圧倒的に下げたい、というのがトランプの発想であることが見えてくる。
(トランプなのか、側近の誰か専門家によるものなのか、そこまでは詳しく知らない)
納得感というのは、従って、「戦略面」および「(主に米国の)軍事財政面」という観点である。
トランプも、「完全にNATOから離脱」することが米国のためになると思っているわけではないのだと感じる。
「現在のNATOでは、米国にとってコスパ面で割に合わない」という発想なのだ。
トランプの主張というのは、中身を吟味すると、良くも悪くも「非常にわかりやすい」。
相手にすれば、「唐突に、非常に乱暴で理不尽なことをいきなり言われる」から「めちゃくちゃで、予測不能」に見えるだけのことなのだ。
トランプの考える、「米国にとってコスパの安い、権威主義世界」の全貌というものはまだ分からないし、世界がどうレスポンスするかというのも不明だ。
現在の石破政権は、確かに「中国べったり」に見えるが、そのスタンスを「故無し」と見なすのも難しい。
トランプが、現在の東アジア情勢において、日米同盟というものを「トータルなコスパ」でどう判断してくるのか。
「当事者(日本国民)」であることを考えると「恐れるべき」かもしれないが、妙に「楽しみ」な部分もある。
なぜだろうか?
「トランプの主張自体が、国際秩序を分かりやすくしてくれる」からだ。
これは、自分の中にも「権威主義への希求」があるのに間違いない。
ただ、トランプの「2期目」は、1期目より「賢明かつ老獪」になっている気がしてならない。
ウクライナ情勢に「いきなり介入」するのでなく、世界の原油価格の動向に着目し、「中国の関与」を求める「迂回戦術」に持ち込み始めたからだ。
これも誰か優秀なブレーンの入れ知恵には違いない。
単なる「ディール外交」の「条件と交渉術を重層化」しているように映る。
トランプは、ロシアとの関係も、中国との関係もシンプルにしに行くだろう。
彼は「高すぎる戦争のコスト」は払わない筈である。
(パナマ、カナダ、デンマークは「戦争にならない」相手だから大胆に踏み込みができると言える)
トランプ任期内に、日本でも、「バスに乗り遅れるな」式に、「隷米」派中心に「日本も米国の植民地に」論が巻き起こるかもしれないが、トランプから「日本を併合しても、コスパに合わずメリットもない」と拒否される辺りまでが見えてしまった。笑
「第2次南北戦争」のリスク
トランプ政権の2期目が開始された。
自分はトランプに対する評価はさほど低いほうではない(故安倍首相に対する評価に似ている)が、結論としては「唱えた政策を有言実行したとしても、米国の再生(特に産業経済)全体は上手くいかない」と見ざるを得ない。
これはトランプ自身の手腕というよりは、米国の政治社会・経済構造そのものが限界を迎えたことによるものと言える。
米大統領は「3選禁止」であるため、憲法修正まで踏み込まない限り、トランプが次期を目指すことはない(まあその可能性もないとは言い難いのが怖いところだが)。
したがって、「2期目の任期内の時間範囲内に、現実に起こるリスク」としては少ないかもしれないが、「第2次南北戦争」のリスクについて言及したい。
トランプは初日から多岐にわたる大統領令に署名を行ったのに対して、既に訴訟が起こされている。
自分の目的は、その是非を問うことにはない。
トランプと、今後の施策は(その成否を問わず)「米国の分断をますます深刻化させ、反対派の反発を増大させる」という当然のことを指摘したいに過ぎない。
ただし、トランプのリスクは、それだけに止まらない、と見ている。
イーロン・マスクを政権に参加させ(るだけではなく殆どビッグテック全般がトランプ政権に協力姿勢を明確にしている)、SNSとその対策・政策を恣意化しようとしている。
これが行き着くところは、「反トランプ・民主党勢力弾圧」に他ならない。
自分の想定は、「SNS操作×警察政治(オバマ政権下の反テロ対策のような形態)による、マッカーシズムの再来」である。
これは最悪の想定のように見えて、かなり実現確率は高いのではないかと見ている。
反トランプ勢力は、当面は法的措置により対抗するだろうが、「政府による公的弾圧」が開始されたら、もはやその手立ても社会的にほぼ奪われていくだろう。
そうなった場合、反対勢力に取りうる手立ては、もはや「暴動」ないし「武装蜂起」しかなくなっていく。
「武装蜂起」で想定しているのは、「反トランプ州知事の州兵動員による決起」だが、簡単ではない。
せいぜい「暴動が関の山」といったところだろう。
「第二次南北戦争」と言ったのは、「トランプ2期目」により「米社会分断が飽和点を迎える」ということと、「反トランプ・民主党勢力も、大同団結だけでなく強固な横の連帯結束」を強めない限り、今後進展する弾圧に対抗するのは容易ではない、ということを主張したかったからだ。
トランプの「米国再生」政策は、殆ど「上手くいかない」ことは次第に明らかになるが、そうなった場合、「国民の不満のはけ口」を求める必要が出てくる。
「戦争」に訴える可能性ももちろんあるが、ハイコストな手段より、「トランプ支持者を動員しての、反トランプ勢力の排除」の方が遥かに効率的かつ、政治目的に沿うと判断する筈である。
無論、以上は単なる「ディストピアシミュレーション」に終わる可能性ももちろんある。
というより、そうあって欲しいと祈るばかりである。
「関西トランピズム」招来のスキか、日本政治の転換点か
兵庫県知事選は、出直し選となった前知事の完勝に終わった。
複数候補の効果もあったかもしれないが、フタを開ければ「ゼロ打ち」でメディアの煽った「接戦」は「大嘘」だったと言われても仕方あるまい。
デマ・陰謀論がSNSを通じて拡散される異例の選挙戦と言われたが、色々な意味で、米大統領選の構図に非常に類似している部分が大きいと感じた。
今回は、自らも立候補しながらも、「斎藤前知事を応援する」という独自のポジションを取ったN党首立花の「デマゴーグ」(扇動者)の面目躍如、あるいは確固たる地位確立の契機だったと言えるだろう。
実は、今回の選挙の結果や過程の可否について述べようというのではない。
(着火点となった知事パワハラ問題の「真相」が明らかにならない以上、それを述べられる状況にない。ただし、斎藤知事再登板となった以上、百条委が継続されようともはやそれは望み得ない、と見て良いだろう)
今回の選挙が非常に独自の展開を見せるに至った、「メディア・政治条件の一端」を整理することに目的がある。
近年の「維新」史について興味を持ち始めたと別ブログで述べた。
そこで分かったのは、維新伸長の基盤となった、関西の特殊な政治・メディア風土というものである。
尤も、自分も現地にいる訳でなく、伝聞情報による2,3次情報に随ったものでしかないのだが、その前提において…
維新伸長の素地になったのは、「既存政党、メディア、役所」総体に対する不信感と、「それを突破する起爆剤となってくれるのではないか」という「期待」を巧みに吸い上げた創設者橋下の手腕と、また草創期の目玉政策として位置付けられた「都構想」にあったのは言うまでもない。
結局のところ、今回の兵庫県知事選とその前史も、「維新」史の「さらなる縮図」(知事vs.それ以外の政党全て+既存メディア+役所)が現れたところに、「パワハラ騒動×SNS選挙戦×デマゴーグ」という極めて特殊条件が重なり合ってシナジーを起こした、と見ている。
SNS選挙戦については、様々な分析が成されているので、既に新たに言えることは特にないのかもしれないが、今回の兵庫県知事選、また前回衆院選で国民新躍進の契機ともなったことから、「日本政治の転換点」と見るべきか、と感じている。
SNS選挙戦が伸長したのも、様々な社会条件が重なり合っている。
・インフレによる生活逼迫の急進
・一部政治家のSNS活用の習熟化と選挙戦への巧みな反映
・特にそれが若い世代にハマり、実際の「選挙行動」へと「転換」
・SNSの「政策(以外も含めての)アピールの、有権者へのダイレクトな届きやすさ」
etc.
この辺りは既知として、自分はむしろ、その「裏の条件」のほうを指摘したいのだ。
結局のところ、
・既存メディアや政党は、「『パワハラ問題』をトータルに扱い得ていないのではないか?」という有権者側の強力な疑念を晴らし得ない
という「決定的なウィークポイントを突いた」ことに他ならない。
この部分は、今後も、「SNS選挙戦」は伸長こそすれ、簡単に勢いは弱まらない、と見なくてはなるまい。
恐らくこれからは、既存政党やその政治家も次々に参入しての大混戦となるか、はたまたメディアを混えての、その「規制」をめぐる強力な綱引き、むしろ新たな「政治戦」の構図が登場するかもしれない。
日本は既得権、既存メディアの力が強い(強かった)から、では済まない言説構図が、「政治、少なくとも選挙戦を主導」しに行く可能性が出てきたのだ。
結局のところ、
・既存メディアや政党が、十分に扱い得ない事象や政治構図
が絶対に存在するところを、SNSでは上手く深く(時に真偽混りで)リーチできる。
そこには、既存メディアや政党主導では絶対に活動し得なかった「デマゴーグ」が、遂に日本でも策動し得る、ということに他ならないのだ。
関西ー兵庫は、その「分かりやすい実験場」となった。
それがすぐに、「全国や全ての選挙戦を席巻する」という事態にはならないだろうが、上手く制する勢力や政治家は確実に今後も現れ、徐々に増加していく。
今後もその動向を注視していきたい。