アベへの切り込み方

過日の野田前首相による、安倍への追悼演説は、素晴らしいものだった。

歴史に残る名演説だったと言って良いだろう。

各ニュースでも振り返られていたが、民主党政権最初で最期の衆院解散時の、安倍と野田の丁々発止は、戦後憲政最大のスポットライトの当たる名シーンでもあった。

 

追悼演説で刺さるポイントはいくつもあったが、著者にとっても、

安倍晋三とは何者だったのか」

は巨きな問いだ。

個人感情としては、安倍は好きな政治家ではなかったが、彼の大きな功績や足跡は理解もし評価もしていた。

が大きすぎるがゆえに、そのピントも絞れず、知的関心の対象としては遠ざけてきた。

はっきり言うが、彼の死によって、初めて「知的に突き放して」観る素地を得られた。

(それ自体社会精神分析の対象になるだろうが)「憎悪に類似した束縛」を与えてきた存在だったのだ。

無論、旧統一教会の問題は議論中であり、全く「終わった問題」ではないのだが。

 

精細に絞り切ったわけではないが、政治学的な興味としては

1アベとは「既得権のスタイリッシュなリニューアル」に果たして部分的に成功したのか、それとも努力はしたけれど、結果的にはすべて失敗したのか?の仮説検証

2「国民的人気」調達のプロセスと根源。特に小泉前首相とのその差異

3 1、2の相関性

 

アベノミクス云々ということも興味はあるが、そちらは経済学的な関心へと移しておく。彼の国際的な事績というのは、1との絡みとして掘っていく。

 

著者は、親アベではないから、保守派・保守系にとっての損失には興味はない。むしろ、彼の存在が憲政に与えてきた縛りと、彼の死がどのような「解放」をもたらしたか、を評価する立場だ。その視点は、2の裏返しと言えるかもしれない。

 

大味な切り口に過ぎないが、最初に立てる戦略の柱としては充分だろう。